「FIREして出産したい」早稲田→外資コンサル→六本木キャバ嬢が、27歳で資産3億円を目指す理由

2026年2月20日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。

今回お話を伺ったのは、早稲田大学を卒業後、外資系戦略
コンサルティングファーム(以下、外資コンサル)に入社し、その後キャバクラの世界へと飛び込んだたまごあゆみさん。いわゆる安定ルートから一転、自ら選び取った環境で成果を出しながら、「今がはたらいて一番楽しい」と心から言えると語ります。

なぜエリートコースを離れて、夜の世界ではたらく道を選んだのか。外資コンサルからキャバクラ、将来を見据えた歩みを通して、自分基準ではたらくためのヒントを探ります。

起業につながる最速の成長環境を求めて外資コンサルへ

──早稲田大学、外資コンサルといわゆるエリートコースを歩まれてきています。幼少期から勉強熱心だったのでしょうか?

ありがたいことに、両親が私の教育に対して惜しまず投資をしてくれて。「やりたい」と言ったことは全部やらせてもらえる環境でした。英会話・習字・水泳・バレエなど、幼少期はほぼ毎日のように習い事がある生活を送っていましたね。非常に裕福という家庭ではなかったのですが、両親が経済的にも精神的にも支えてくれて、そのおかげで自分の可能性を広げる経験をたくさんさせてもらいました。

──充実した幼少期を過ごされた一方で、高校3年生の受験期には不調もあったと伺いました。当時の心境を教えてください。

とにかく「大学受験には絶対に落ちてはいけない」という強いプレッシャーによる不調でした。当時私が通っていた中高一貫校はいわゆる進学校で、「良い大学に行けないと人生が終わる」という空気が常にありました。中学3年生の時点で、周囲はすでに大学受験モードになっていたんです。

毎日14〜16時間の勉強、同じ作業の繰り返し、集中力が切れることに対する焦りも重なって、気付けば燃え尽き症候群のような状態になっていました。

当時の私はまだ「大学受験がすべてじゃない」とは思えていなくて。「たとえ受かったとしても、就職したらまた受験期のような生活が続くのかも」と将来にも息苦しさを感じていました。

幼いころから教育に多くの投資をしてもらっていたからこそ、「ここで落ちたら親に申し訳ない」という想いも強かったです。

──実際に早稲田大学に入学後はいかがでしたか?

入学直後は、受験期の苦しさから解放されたこともあって、毎日がとても楽しかったです。高校は校則が厳しい学校だったぶん、早稲田の自由な校風の中、1年生のうちに大学生活は一通り満喫できたと思います。

大学2年生のときには、ちょうどコロナ禍に見舞われて。授業はすべてオンライン、サークルも活動停止。大学らしい生活は突然なくなりました。

同時に、そのころに自分は会社員に向いていないと感じるようになり、起業への興味が強くなりましたね。ただ、当時は人より秀でた自分の強みをまだ言語化できていなかったですし、「起業するならお金を貯めて自力で立ち上げたい」という想いもあり、悶々とする⽇々が続いていました。

──そこから、新卒で外資系コンサルティング会社を選んだ理由を教えてください。

悩みながらも起業への強い想いはゆるがなかったので、就活では起業を視野に、短期間でビジネススキルが身につく環境を探しました。大学では文学部に在籍していたことから、「このままだとビジネスの知識がないまま社会に出てしまう」という不安もあって。

そこで、ビジネスの基礎体力、課題解決力、論理的思考など、起業の土台になる力を身につけられる場所として戦略コンサルが最適だと思ったんです。

はたらく期間とスキルなどのリターンを踏まえ、最終的には、最速で成長できるという理由で外資コンサルを選びました。

──実際に入社してみて、どんな印象を持ちましたか?

入社前にイメージしていた激務よりは、思った以上にホワイトな環境でした。特に若手ははたらき方改革の影響で残業が厳しく管理されていて、時間外労働もかなり制限されていましたね。

そのぶん、限られた時間で成果を出し、昇格していくハードルの高さも痛感しました。組織の上位層にいる方々は本当に優秀で、自分があのレベルに行くまでには一体何年かかるんだろう、昇進は10年以上在籍してやっと見えてくる世界なのでは、と。

そのときに考えました。コンサルから独立するパターンとして多いのは、これまでの経験を活かしてコンサルとして独立するか、まったく別の分野で独立するか。私はどう考えても後者で、ここでコンサルを極めるよりも、起業につながる経験をもっとほかで積むべきだと感じたんです。「今の私にとっては10年もこの仕事を続ける必要はない」と判断して、退職することを決断しました。

「人生一度は終わった」安定ルートを外れて夜の世界へ

──外資コンサルを辞めた後、キャバクラの道を選んだ理由を教えてください。

体力や環境を考えると、短期間で成果を出せるはたらき方に本気で向き合えるのは、30歳を迎える前の今しかないと感じたからです。

元々、20代後半で事業や投資を軸にしながら、資産3億円を築きたいという目標があって。そのためには、若いうちに集中して稼ぐフェーズをつくる必要がありました。

そのときに思い出したのが、学生時代にラウンジでアルバイトとしてはたらいていた経験です。留学費用を貯めるために、大学の先輩に誘われて始めたのがきっかけでした。時給は普通のアルバイトの10倍ほどで、目標金額もあっという間に貯まって。このとき、「良い大学に行って、良い会社に入らないと高収入は得られない」という思い込みが一気に崩れました。

また、自分の強みがないことに悩んでいた時期に「昼と夜、まったく異なる世界を両方経験してきた自分だからこそ、見える視点やできる事業があるのでは?」と考えるようになって。

体力や時間軸、学生時代の経験も踏まえたときに、キャバクラというはたらき方が当時の自分にとって最も納得感のある選択だと思い、夜の世界ではたらく道を進みました。

──とはいえ、安定ルートから外れることへの不安はなかったのですか?

もちろん、すごく不安でした。でも起業ややりたいことなど将来から逆算して考えたときに、「この年齢で動かなかったら、絶対に後悔する」と思って。

不安があっても進もうと思えた背景には、大学受験期の不調の経験が大きいです。燃え尽き症候群になったあの時期は、本気で「人生終わった」と思うくらい落ち込んでいました。それでも結果的には合格して、その後の人生もなんとか歩んできています。

だから、今の安定は「偶然ついてきたボーナスタイム」みたいなものだと考えられるようになったんです。もし受験に落ちていたら、今のキャリアは存在しない。だったら、安定に執着しすぎる必要はないのかなと。

「自分の人生を自分で動かす」キャバクラで感じたはたらく自由

──アルバイトではなく、キャバクラではたらくという道を選んでみて、仕事に対して率直にどう感じていますか?

想像以上に、自分でつくる仕事だと感じています。華やかな世界に見えますが、実際は売上目標が細かく設定されていて、その数字から逆算して「今日は何組呼ぶか」「どう提案するか」まで、すべて自分で考えなければいけません。
はたらき方は週6勤務で、20時からアフターがあれば翌朝4〜5時まで飲酒を伴う接客が続きます。売上をつくるためには、365日お客さまに連絡を取り続ける地道な積み重ねも必要です。

キャバクラの仕事は、お客さまとのコミュニケーション量が成果に直結するので、限られた時間をどう使うかが鍵になる。私は仕事の工夫として、移動は基本タクシーを使い、その時間にお客さまへ連絡を返したり、アフターの段取りを考えたりと、業務時間としてフル活用しています。効率よく時間を使い、いかに多くの方との接点をつくるかという意味では、営業パーソンの発想に近いと思います。

私自身も、キャバクラに入る前は「キャバ嬢の“頑張る”ってなんだろう?」と思っていましたが、はたらき始めて一気に認識が変わりました。学生時代にラウンジではたらいていたころとは、必要な熱量がまったく違いますし、忍耐力や自己管理が求められると感じています。

──これまでのご経験が、現在の仕事に活きていると感じる瞬間はありますか?

ビジネスや仕事の話ができるのは、これまでの経験があってこそですし、ほかのキャバ嬢にはない強みにもなっていると思います。

大学時代はインターンで新規事業の立ち上げを経験し、前職のコンサル時代は経営者や事業家の方々と議論する機会が多くありました。
キャバクラに来てくださるお客さまの中には、「飲みの場でも仕事の話をしたい」といった層が一定数いて。その日の状況によっては、営業時間内ずっと隣で話しながら、長時間ディベート状態になることもあります(笑)。これまでの経験のおかげで、「経営者層とビジネスの話ができるキャバ嬢」という希少なポジションを築けているのかな、と。

私はお酒も強いし好きなので、このはたらき方との相性は良いと感じていますね。

──「この仕事が楽しい」と感じられる瞬間はどこですか?

キャバクラでは、キャストからは購買意欲の高い女性の、お客さまからは富裕層男性のリアルな消費行動が直に学べます。人はどんなものにお金を使い、どんな価値観で動いているのかを、ここまで近い距離で観察できる仕事はなかなかありません。

キャバクラは「お酒を飲んで話すだけ」の仕事に見えるかもしれませんが、実際は真逆。お客さまごとに求めているものが違うので、常に最適解を考え続ける、思考が必要な仕事です。

私はルーティンワークだと熱量が続かないタイプなので、自分の判断や工夫が成果に直結するこの環境がとても性に合っているんです。自分の人生を自分で動かしている実感は会社員時代には得られなかったので、今は本当に「仕事が一番楽しい」と心から言えます。

他人の評価ではなく、自分の基準ではたらくために

──たまごあゆみさんの、将来の理想のはたらき方とはどのようなものですか?

私には結婚願望もあるし、子どももほしいとずっと思っていて。子育て期は仕事と両立を頑張るより、思い切り子どもに集中したいんです。

今の社会は、「子育てしながらバリバリはたらく女性こそ最強」という風潮がまだ強い気がします。もちろん、それができる人は尊敬しています。ただ、誰もが同じようにできるわけではないですし、私自身はその価値観に無理やり合わせる必要はないと感じています。

だから、人生のフェーズに合わせてはたらき方を変える選択肢を持ちたいんですよね。子育て期には10年くらい仕事を休んで、落ち着いたらまたはたらく。そんな柔軟に生きられる社会が理想ですし、自身もそうありたいから、現在は得た収入の約8割を株式やゴールドでの積立投資に回しています。仕事で早期リタイアできるほどの資産を築き、子育てに集中できる期間を自分で確保するための準備を進めている段階です。私はFIREを「はたらきたくないから」目指すものではなく、人生の選択肢を広げ、未来の自分の自由度を高めるための投資だと思っています。

──自分の基準で人生を選ぶ姿勢が素敵です。ただ、自分の秀でたところや魅力が分からないという方も多いと思います。

自己評価が低い人は「自分には何もない」と思いがちですが、実は弱点だと思っている部分が強みに変わることってすごく多いんです。

たとえば私も、大学時代にラウンジではたらいていた経験は、親世代からすると「グレている」と見られるでしょう。でも、それはほかの人がやっていない強みに変わる経験でもあり、結果的に今の仕事への足掛かりになっています。また、長所や短所も自分で気付くのが難しい場合は、周囲に聞いてみるのもおすすめです。

短所だと思っている部分も、「どんな場面なら活かせるか」「どう使えばプラスに転換できるか」を考えると、ちゃんと強みになります。

──最後に、スタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?

周りからどう見られるか。親や友達がどう言うか。そうした価値観に引っ張られてはたらき方を決めてしまうことは多いと思います。でも、実際は思っているほど、他人は自分に関心を持っていないんですよね。

だから、自分の基準を大切にしてほしいです。自分が楽しいと思えるか。納得できる収入が得られるか。成長実感を持てるか。自分の人生にとってプラスか。あなたにとって大事にしたいことを基準に道を選んでいったほうが、長い目で見て、ずっと自分らしくはたらけると思います。

やりたいことを選んで、自分なりに結果を出せば、周りは自然に認めてくれます。まずは自分の基準を軸に、はたらき方を選んでいいんだと伝えたいです。

(「スタジオパーソル」編集部/文:石田千尋 編集:いしかわゆき、おのまり 写真:水元琴美)

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