19歳で逮捕4回の暴走族幹部から牧師に。元ワルが少年院でキリスト教に目覚めた理由。

2025年2月27日

少年院を出た少年たちのサポートをする「NPO法人チェンジングライフ」代表の野田詠氏さん。普段はキリスト教の牧師も務め、24年間で支援した少年の数は300人を超えました。

そんな野田さんですが、10代のころは非行を繰り返し、暴走族の幹部として荒れた生活を送っていたそう。一体何が彼を変えたのでしょうか。少年院でキリスト教に目覚めてから現在に至るまでをインタビューしました。

少年院でキリスト教に目覚めたワル

――野田さんの現在の活動について教えてください。

少年院を出た少年たちのサポートをする「NPO法人チェンジングライフ」(以下「チェンジングライフ」)の代表をしています。「チェンジングライフ」は少年院を出た後、行き場のない少年たちを引き受けて、彼らの自立支援をする団体です。

また、私はキリスト教牧師としても、少年院で少年たちと対話をする活動をしています。

――現在は少年たちのサポートをする野田さんも、10代のころは悪さばかりしていたそうですね。

そうなんです。高校中退と同時に非行に走りました。暴走族に所属して、窃盗や暴力に依存し、オートバイで走り回った挙げ句、覚醒剤にまで手を出して。19歳までに4回逮捕され、最終的には少年院に送致されました。

きっかけは、大阪各地の暴走族チームが集まった集団走行です。数百台のバイクが道路を塞ぐほどの大事件で、私が所属していたチームからは100人が参加し、その代表者として逮捕されました。

でも、実際には、「地元に帰ったときにリスペクトを受けられない」という理由で仲間をかばっただけ。仲間思いというより、不良としてカッコ良くありたい、という自己愛の塊でしたね。

――そこからどのような経緯で更生しようと思ったのですか?

少年院にいたころに出会った、小説と聖書に大きな影響を受けました。三浦綾子さんの小説『塩狩峠』では、鉄道事故から乗客を救うために、線路に飛び降りた鉄道職員(クリスチャン)の実話が描かれていて。私が自分のために仲間をかばったのとは違い、彼は他人のために命を差し出していました。人にそんな行動を起こさせる神の力とはなんだろうと、キリスト教に興味を持つようになりましたね。

聖書は、一番上の兄から差し入れでもらいました。私は男3人兄弟の末っ子なのですが、長男がクリスチャンだったんです。当時、覚醒剤に手を出しても、誰にも迷惑をかけていないじゃないか、と思っていたのですが、その聖書を開いたときに、とある一節が目に留まりました。「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべて裸であり、さらけ出されています」と。

まるで、自分の弱さが見透かされたような気がしました。そこから聖書を読みふけり、いつしか神を信じるようになって。「生き直したい」と心の底から強く願うようになりました。

――少年院を出た後、牧師を目指した理由を教えてください。

出院後に訪れた講演会での、ある牧師との出会いがきっかけでした。その講演会を主催していたのは、神を信じることで暴力団員から更生した人たちのグループだったのですが、彼はそのメンバーの一人でした。

非行に走った過去を持ちつつも、牧師として街の不良たちの心の支えになっている存在が眩しかった。その輝く姿を見て「私もこの人のようになりたい」と思ったんです。

少年院を出た1年後、なんとか立ち直った私は、そのあこがれの牧師の母校である生駒聖書学院で神学を学び牧師になりました。下積みの末、24歳で「アドラムキリスト教会」を立ち上げ、そこで非行少年の更生の手助けも始めました。

年に数人ですが、少年院を出て行き場のない少年たちを引き受け、衣食住のサポートをしていたんです。この活動が「チェンジングライフ」の前身です。

――自身の更生にとどまらず、ほかの少年たちをサポートしようと思ったのはなぜですか?

理由は二つ。一つは、人を傷つけてきた加害者として、少年たちに伝えるべきことがあると感じていたから。

今こうして振り返ると、私は自分のことを信じて、手を差し伸べてくれた人たちのおかげでここまで歩んでこられました。暴走族時代に一人ひとりを気にかけてくれた刑事さんや、一生懸命、かかわってくれた家庭裁判所の調査官、刑務所から「応援している」と長文の手紙を送ってくれた友人。過去の経験があるからこそ、少年たちにも愛して支えてくれる人はいること。そして必ずやり直せることを伝えたかったんです。

もう一つは、引き取り手がない少年たちの助けになりたかったから。

少年院を出た後、私には家族がいたので帰る場所がありましたが、複雑な事情があって引き取り手がいない少年は出院が延びて、自暴自棄になるしかない。その事実がつらくて。彼らを受け入れる必要があると思って、自立準備の支援を始めました。

「チェンジングライフ」を設立したのも、少年たちが人生をやり直すチャンスを多くつくりたかったからです。教会だけが拠点だと、受け入れられる人数に限りがあり、もどかしかったんですよね。NPO法人を立ち上げることで、より多くの少年たちの衣食住をサポートできるようになりました。

「私も加害者だった」支援者でなく当事者として少年と生きる

――「チェンジングライフ」では、少年たちとどのようにかかわっているのですか?

支援者としてではなく“先行く仲間”として接する。これに尽きます。

──先行く仲間?

再出発の道を見いだせない少年たちに、「こんな生き方があるよ」と示す。苦しみから先に回復した仲間というか。大前提、犯罪や人を傷つけることは悪です。被害者だけでなく、その家族、さらには加害者自身の家族をも苦しめますから。これは揺るぎない事実です。

その上であえて言葉にしますが、加害者も苦しんでいます。いくら後悔して「やり直したい、償いたい」と思っても、どうすれば良いか分からない。それは暗い世界から足を洗い、まっとうに生きる実例を目にする機会がないからです。

ちゃんとはたらいて、納税をして、家族を養う仲間の姿を見れば、狭い不良文化の中であきらめていた少年も、一歩踏み出せるはずだと思って。

「チェンジングライフ」を卒業した少年と

――「チェンジングライフ」での少年たちの生活について教えてください。

ここでは、グループホームで共同生活をしている子と、「チェンジングライフ」から生活費の援助を受けつつ、自立の練習をかねて一人暮らしをしている子がいます。現在は合計13人の少年たちを受け入れていますね。

みんなここから学校や仕事に通っていて、仕事がない子は私やスタッフと一緒にハローワークに行ったり、求人誌を読んだりすることもありますね。夕方からは宿題をしたり、散歩に出かけたり。食事づくりや掃除は、私の妻がサポートしてくれています。

当面の生活費の貯金ができたから、経済的にも精神的にも自立できたから、など「チェンジングライフ」を卒業していく理由やタイミングはそれぞれです。一人ひとりに合わせて生活をともにできたらと、日々活動しています。

夫婦で少年たちのサポートをしている

――複雑な事情を抱えた少年たちとの生活は、苦労も多いのでしょうか?

毎日がトラブルの連続です。見た目には分からなくても、発達障害や成長過程で心に傷を抱えている子も多くいて。複雑な家庭環境で育ち、こちらの愛情を真っすぐに受け止められない子もいます。

過去の苦しみや不安から逃れたくて、一人暮らしの部屋を脱走したり、薬のオーバードーズで病院に運ばれたり、せっかく見つけた就職先で問題を起こしてしまったり……。すったもんだの毎日です。そのたびにやるせない、つらい想いをしてきました。

――野田さんご自身が傷つきながらも、「誰しもやり直せる」と少年たちを信じ、活動を続けられるのはなぜですか?

彼らがやり直すことに期待はしていますが、信じているわけではないんですよ。人は愛するもので、信頼の対象ではない。このことを聖書から教わりました。人は誰でも、悪気なく人を裏切ってしまうことがあります。裏切られたほうは当然傷つく。それでも、愛情をかけ、手を差し伸べ続けたいんです。愛されることで人の未来は変わる、やり直せると私は身をもって感じてきたので。

「チェンジングライフ」は、これまでの人生で期待されなかった、愛されなかった子たちが愛される場所でありたい。これもまた、“先行く仲間”として、私にできることだと思っています。

過去はいつまで経ってもつらいもの。だけど……

――「チェンジングライフ」ではたらく中で、幸せややりがいを感じるのはどんな時ですか?

少年たちの成長や幸せを実感した瞬間ですね。

うちに来た当時、生意気で屁理屈ばかりのある少年がいて。彼の口癖は「刑務所に行きたい。塀の中のほうが楽や」でした。彼を引き取った身としては、毎日その言葉を聞くのがつらかった。でもね、その子がここを卒業して10年後に子どもを連れて遊びに来てくれたんですよ。ああ、この活動をしてきて本当に良かったって思いましたね。

「チェンジングライフ」の一室には、少年たちとの思い出の写真がずらり

大変な中にも、こうした幸せがあるからやっていけます。

もともと私は、バイトで長い期間一つの職場にとどまれたことがないくらい、大の仕事嫌いなんですよ。それでも職場を転々としながらなんとかはたらき続けられたのは、目標があったからだと思います。教会を始めるために、妻に結婚を申し込むために、ガソリンスタンドやごみ収集のバイトをしていました。

でも、仕事はいつだってしんどかった。今も同じです。やりがい100%で、しんどさも100%です。

――やりがいがあるのに、しんどさも100%

しんどさが70%でやりがいが30%なんかではなく、私にとって仕事はどちらも100%で成り立っているんです。その前提の上で、同じ仕事をするならば少しでも好きだと思えることをしていたい。私の場合は、それが少年たちとかかわることでした。人とかかわる仕事は傷つくことも多いですが、人とかかわることでしか得られない喜びもあるんですよね。

「テストどうだった?」少年に声をかけながらお菓子を手渡す野田さん

何度も傷つきながらはたらき続けるうちに、この仕事が「自分に合う」とも思えるようになりました。

──自分に合う仕事に出会うには、トライしてみるしかないのでしょうか?

難しいですよね。でもやっぱり「はたらくことには苦痛をともなう」と分かった上で、いろいろな仕事を経験するしかないのかな。大変な思いもしながら目の前のことと向き合ううちに、いつかは自分に合う仕事や、これからやりたいことに出会えるのではないでしょうか。

――やりたいことを見つけていく道中では、過去の後悔やコンプレックスが足かせになることもありますよね。

過去が自分の前進を足止めしてしまうつらさは痛いほど分かります。どんなに年月が経っても過去の失敗は苦いもの。それでも前を向くには、苦しみの中で得たものに目を向けるしかないと思っています。

私は10代最後の1年間を少年院で過ごしました。世間から見れば人生を無駄にした時間だし、後悔もしています。ただ、少年院で作文や手紙を書いたり、教養を身につけたりしたことは確実に今につながっています。「チェンジングライフ」の運営にまつわる事務仕事や牧師としての活動、その中で必要なスキルや想いを伝える力は、少年院での苦い経験の中で培ったものなんです。

――最後に、過去のできごとに苦しむ読者にメッセージをお願いします。

過去の苦しみを背負っているのはあなただけではありません。どんな人も、ちょっとしたボタンのかけ違いで人生の歯車が狂うことがあります。そのかけ違いを理由に人を傷つけてはいけませんが、誰にも迷惑をかけず、なんの後悔もなく生きられる人はいないはず。

後悔に苦しむときは、視野を広げてみてください。周りを見渡せば、同じように過去に苦しみながらも、あなたの力になりたいと思う人が必ずいます。その支えに気付き、彼らと助け合いながら、新たな一歩を踏み出せたら良いですね。

それでも苦しいときはぜひ話を聞かせてください。これからも私は、“先行く仲間”として、過去に苦しむ人たちが自分らしく前を向くサポートができたらと思っています。

(文・写真:徳山チカ 編集:おのまり、いしかわゆき)

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ライター / 編集者徳山チカ
1991年大阪府生まれ。2児の母。ウェディングプランナー、住宅営業、スパイスカレー屋のパートを経て、フリーランスライターに。主にキャリアや生き方にまつわる記事の取材、執筆、編集を行う。音楽ライブ、ラジオ、スパイスカレー、ハイボールが心のオアシス。

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