「まるごとトマトそば」「火鍋そば」、富士そばの自由すぎるメニューの裏側
東京都を中心に約120店舗を展開する、そばチェーン店「名代 富士そば」。一見どこも同じような店構えですが、実はダイタンホールディングス傘下のグループ8社が店舗を経営しており、「富士そば」という、一つのブランドをつくりあげています。
分社化しているのは、各社を競争関係に置き、経営を活性化させるため。それぞれが別会社として独立しているため、実はお店のメニューや使う食材も微妙に異なります。メニュー開発を店長に一任している点も面白いところ。店長のアイデアを具現化したメニューは、独創的なものばかりで、時には店でしか食べられない“珍そば”が登場することも。
そんな珍そばを心待ちにする富士そばマニアたちが熱視線を送る店舗が、「富士そば 代々木八幡店」です。店を切り盛りする柳田実店長は“伝説のボツメニュー”とも評される「丸ごとトマトそば」の考案者。
柳田店長はどのようにキャリアを重ねてきたのでしょうか。そして、そんな店長を輩出する富士そばの経営哲学とは?富士そばマニアであり、富士そばライターの名嘉山直哉さんが話を聞きました。
成り行きで生まれた伝説の「まるごとトマトそば」
――柳田店長はメディア出演もされて、名物店長の一人に数えられる活躍ぶりです。どのような経緯で富士そばに入社したのでしょうか。
2007年にアルバイトスタッフとして採用されたことが、そもそものはじまりです。当時は、徳島県から上京してきたばかりで、専修大学に通っていました。自分で学費を稼ごうと求人情報誌を開いたら、たまたま富士そば秋葉原店の募集が目にとまったんです。飲食店ではたらいた経験はなかったんですが、ものは試しにと応募したらすぐに採用してもらえました。
――富士そばとの出会いは偶然だったんですね。
当時は、なりゆき任せに生きていましたからね。大学受験がはじまるまで、専修大学は関西にあると勘違いしていたくらいですから(笑)。
そういう性格なものだから、秋葉原店は一年ほどで辞めてしまいます。その後の数年間、ペンキ店やもんじゃ焼き店などアルバイト先を転々としていたのですが、富士そば時代の上司から声がかかり、大学4年の時にアルバイトスタッフとして富士そばに再入社しました。それから正社員になって4カ月後、2011年7月に秋葉原店の店長を任されることになりました。
――驚くほどのスピード出世ですね。
入社した時期が富士そばの出店ラッシュと重なっていたことが大きいですね。とにかく店を見る人間が足りていなかったんです。今でこそ店長は狭き門ですが、当時は現場からのたたき上げで店長になる人も少なくありませんでした。
――オリジナルメニューの「丸ごとトマトそば」を開発したのもこの時期ですね。
お詳しいですね(笑)。2012年の飯田橋店時代に私がはじめて開発したオリジナルメニューです。
――「丸ごとトマトそば」という斬新なメニューはどのように思いついたんですか?
きっかけは、エリアマネージャーとの何気ない会話でした。「トマトを使ったメニューなんてどう?」と提案され、私が「じゃあ、丸ごと一個乗せちゃいますか」と返したら「いいよ、俺トマト好きだし」と快諾してくれて。温かいそばの上に湯むきしたトマトを乗せるだけだから、調理もかんたん。すぐに商品ラインナップに加わりました。
――けれど、全然売れなくてすぐに終売したんですよね? インパクトのあるビジュアルと悲しい終売エピソードが後年、「伝説のボツメニュー」としてSNSやメディアなどで話題になりました。
「まったく売れなかった」わけでないんですよ。 一日平均8杯くらいと、変わり種のメニューとしてはそれほど悪くない売れ行きでした。
――では、なぜ終売に?
終売になったのは仕入れの都合なんです。提供開始の翌月、不作の影響でトマトの仕入れ値が高騰してしまって、泣く泣くお蔵入りにしました。販売としては残念な結果に終わりましたが、SNSでの反響が富士そばの宣伝につながったことを評価していただき、後日社内賞をいただきました。
――柳田店長が開発した中で一番ヒットしたオリジナルメニューは?
2015年に出した「ポテそば」は大ヒットでしたね。フライドポテトをトッピングしたそばで、一日200杯ぐらいは売れました。もともとは大阪にある某そば店さんの名物だったのですが、エリアマネージャーが「うちでもやってみよう」と持ちかけてきたのがはじまりです。「フライドポテトは一番美味しい揚げ物だから間違いないだろう」と。
「ポテそば」はだれが作っても味を再現しやすいため、複数の店舗で取り扱われるロングセラーになりました。その後、多様な展開を見せ、らせん状にカットしたポテトを乗せた「トルネードポテトそば」や「ポテトチップスそば」などに波及していきます。
ジャカルタと台湾で店長に。海外進出で味わった「挫折」
――飯田橋店の勤務後にインドネシアのジャカルタ店の店長も任されていますね。
ジャカルタに行ったのは「丸ごとトマトそば」の販売から半年後のことでした。中心市街地にできたショッピングモールに出店することが決まり、社内で立ち上げメンバーを募っていたんです。正社員になってまだ2年目だし、語学力が優れているわけでもない。それでも若さゆえの好奇心と根拠のない自信だけはあって、立候補したんです。
――ジャカルタでの勤務はいかがでしたか?
想定外のことばかりでした。特に現地スタッフのマネジメントは苦労しましたね。お国柄なのか、マイペースな人が多く、当日欠勤はざらにありました。中には「今日は雨なので休みます」なんてスタッフもいたんですよ(笑)。余裕を持ったスタッフ配置で対処していましたが、日本人との仕事観の違いを痛感しました。
ただ、驚くことにどのスタッフも料理の腕は確かで、私なんかよりもよっぽど技術がありました。というのも、現地の富士そばは富裕層をターゲットにした日本食レストラン風の体裁だったんです。華やかで格式高そうなイメージが、優秀な人材獲得につながったのでしょう。
しかし、いかんせん出店時期が早すぎたんでしょうね……。ジャカルタのお客さまには、まだそばの楽しみ方があまり認知されていなかったんです。そばがのびる前にサッと食べてほしいのですが、ジャカルタにはそのような食習慣はありません。お客さまにそばを提供してもすぐに手をつけようとはせず、くつろいでしまう。これでは、本来の美味しさや風味も損なわれてしまいます。
また、ショッピングモールの立地もネックでした。周辺の道路がいつも混雑しており、集客に結びつかなかったんです。結局、売り上げが振るわずに、開店からわずか9カ月で閉店となりました。最終営業日、スタッフたちに自身の不甲斐なさを詫びた時は、涙をこらえきれませんでした。
店長たちの熱い思いをどんぶりに詰め込んだオリジナルメニュー
――初めての海外赴任は苦い思い出となったのですね。しかし、その後2018年に台湾支店の「総経理」に就任したそうですね。総経理といえば社長レベルの役職です。
富士そばが台湾進出3年目を迎えたタイミングで、社長から任命されました。私は2015年から2016年にかけて台南店の店長、台湾支店のエリアマネージャーを務めたので白羽の矢が立ったのだと思います。
台湾内では出店が続いていたので、てっきり売り上げもイケイケ状態なのだと思っていました。ところがフタを開けてみると、エリア全体の平均売り上げが進出当初の30%程度に落ちこんでいたんです。どうしていいものやら、さすがに頭を抱えてしまいました。
――台湾ではどのようなオリジナルメニューを開発したのでしょうか?
「シーフードトマトそば」「バジルとオクラとトマトのつけそば」「台湾版 肉富士そば」「丸ごとチキンそば」など試行錯誤していくつかのメニューは開発しました。ただ、V字回復させるような決定打にはつながらず、最終的に富士そばは台湾から完全撤退。私も2020年に帰国し、現在の代々木八幡店に配属されました。
――それでもめげることなく、代々木八幡店でオリジナルメニューをつくり続けている。
この2年間ほどで「酸辣かきたまそば」「トマトスープの洋風海鮮そば」「海鮮火鍋そば」「ローストダックのミニ丼」などのメニューを10種類以上、開発していますね。
――なぜ、そこまでしてオリジナルメニューの開発に心血を注ぐのでしょうか?
一番の目的は、お客さまを飽きさせないため。結局1番売れるのはかけそばのような「定番メニュー」なんですが、メニューの新鮮さは重要なんです。
あとは、メニュー開発の楽しさに魅せられている部分も大きいです。実は新メニューの開発は店長の裁量によるところが大きく、原価率や仕入れの問題などをクリアすれば、大概のメニューは商品化してOK。太っ腹な会社ですよね。
オリジナルメニューが売り上げに大きく貢献することはなかなかありませんが、アイデアを練りに練って生まれたメニューなら、愛着もひとしおです。
――富士そばのオリジナルメニューは、「店長たちの自己表現」と呼べるほど、斬新で自由な物ばかりですよね。
そういった一面もあるでしょうね。斬新なメニューでお客さまを満足させたい、世間をあっと言わせたい。そんな思いに突き動かされている店長も少なくないでしょう。最初は安直だったレシピも、経験を重ねていくと完成度が上がっていく。売り上げというかたちで反響がダイレクトに伝わってくるので、自分自身を評価されたような気分になります。
「売れないメニューも成長のため」。珍メニューの背景にある経営哲学
――入社間もないころから未知の世界に飛びこみ、酸いも甘いも嚙み分けてきた柳田店長ですが、 第三者からすると、会社からの「 むちゃぶり」 にもうつります 。
トライ&エラーの繰り返しが人を成長させる。それが富士そばに伝わる育成方針なんです。分かりやすい例がオリジナルメニュー。明らかに売れなさそうなメニューでも、チャレンジさせてもらえる。不人気だったとしても、そこから改善点を見出してくれれば構わないと、本社は考えているんです。海外出店を任せたのもそのような思いがあるのでしょう。ジャカルタや台湾進出は順風満帆とはいえない結果になりましたが、大きな学びになりました。
――柳田店長が代々木八幡店に配属されておよそ3年、自身にとっては最長の任期になります。コロナ禍 における「次の一手」を教えてください。
富士そばらしからぬ高級食材を使ったメニューなんて、面白いかもしれませんね。例えば国産のブランド豚、芝エビ とか。あと、徳島名物の「じゃこ天」や「阿波とん豚」「阿波尾鶏」もいいですね。すぐにでも開発に着手したいところですが、まずは原点に立ち返る必要があります。接客、お店の雰囲気、味を一度見直して、離れたお客さまを呼び戻さなくては。
(文:名嘉山直哉 写真:玉村敬太)
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