畳に興味がなかった5代目職人が「すごい畳」に挑戦した理由
「すごい畳を作る職人が岐阜県にいる」と話題になっています。「畳は四角形」という常識を覆し、曲線や多角形、さらには、まるで生きているかのように迫力がある龍をも畳で表現しているのです。
新しいデザインに挑んだこれらの畳、ブランド名はズバリ「すごい畳」。作るのは明治 2 年(1869 年)創業の老舗畳製造店「山田一(やまだはじめ)畳店」5代目、山田憲司さん(39)。ナイフと糸のこぎりを操り、型破りな畳を続々と生みだしています。そのスゴ技が買われ、注文が殺到。高級旅館や寺社仏閣からのオーダーが相次いでいるのです。
そんな今をときめく山田さんですが、実は「畳職人になるつもりはなかった」と言います。畳に関心がなく、家業を継ぐ気はなかったという山田さん、心変わりしたきっかけは何だったのでしょう。伝統工芸を新しいアプローチで現代に伝える山田さんに、ものづくりの現場ではたらく楽しさについてお伺いしました。
「自動車の荷台に畳を敷いてほしい」という依頼が職人の人生を変えた
――「すごい畳」ことデザイン畳を初めて手掛けたのは、どんな作品ですか。
「自動車の荷台に敷く畳」です。2018年、知人から「ハイエースの荷台に畳を敷いてほしい」と頼まれて作ったのが最初です。子どもが荷台でくつろげるよう、「和室の居間のような雰囲気にしたい」という依頼でした。
自動車の荷台に畳を敷くとなると、どうしても曲線の部分が出てくるんです。2017年まで、へりが曲線になっている畳を1度も作った経験がなかったので、そのときは先代である職人の父と相談しながら一緒に仕上げました。
納品をしたら知人がとても喜んでくれまして、その反応を見て、「これ、意外といけるんじゃないか」と手ごたえを感じたのが、デザイン畳を始めたきっかけです。
そうして、「次はこんなことやってみよう」と少しずつ複雑化し、難しい作業にチャレンジし、ステップアップして現在に至るという感じですね。
素材のイグサを着色せず畳の目の向きだけで色を表現する
――デザイン畳はどういった点にこだわって制作していますか。
「畳の素材である天然イグサを着色しない」。それがこだわりであり、「すごい畳」のコンセプトです。一見さまざまな色を使っているように見えますが、実はすべて同じイグサです。畳の目の向きを変え、光の反射で色が違って見えるように工夫しています。
光が反射したときのイグサの色って、とても美しいんですよ。見る角度によって濃淡や変化がある。金色になったり、銀色になったり、緑や白に変わったり。光が生みだす色の多彩さ、イグサの美しさを知ってほしくて、あえて着色はしないでおこうと決めました。
畳屋の息子として生まれ育ったんですけど、正直に言って、自分でデザイン畳を作るまで「イグサが美しい」なんて感じたことがなかった。そういう点でも、デザイン畳は自分の中で画期的なものでした。
――同じ色のイグサを光の角度だけで多色に見せるのは、簡単ではないのでは。
難しいです。「この角度から光が当たったら、この色になる」ということを知っておかなければならないし、太陽光と人工の照明では発色が異なるので頭を使いますね。
そのため、1年の4分の1は実験に費やしています。「畳を10度回転させたらどうなるんだろう」「3方向から光をあてたら、どうだろう」と。だから試作にとても時間がかかるんです。
注文を請けるときも、畳を敷く場所は必ず訪ねて、念入りに下調べをします。光の入り方を知っておかねば設計できないですから。なので、東京でも地方でも必ずおうかがいします。
たとえば家屋だったら、制作に入る前に現場へ最低でも2回行き、下見させてもらいます。朝と夜と2回、見せてもらう場合もあるんです。午前と午後では光の射し方が変わりますから。部屋に入った瞬間にもっともきれいに見えるように、なおかつお客さんの生活スタイルや動線も併せて考えないといけないですしね。
敷く畳から「鑑賞する畳」へと進化してゆきたい
――実験や試作を重ねるうちに表現の幅が広がったのではないですか。
そうですね。幾何学模様だけではなく、だんだん「絵」や「具象」として表現できるようになってきました。今、畳でロンドンの街並みに挑戦しているんです。もっとも小さな畳で幅3センチくらいかな。こういった畳のパーツを350枚ほど組み合わせてロンドンの風景を表現しようと考えています。
複雑な多角形や曲線もあって簡単ではないですが、畳の可能性を広げるためにも、やらなければいけないと思っています。畳を単なる敷物ではなく鑑賞できるものにしていきたいんです。
今後は畳でマリリン・モンローを描いたり、誕生日を迎えた人にハッピーバースデーのメッセージを伝えられたり、畳の場所を入れ換えると別の絵が浮かび上がったり、そういったことも可能にしてゆきたいです。
――デザイン畳を制作する中で、最もたいへんな点は何でしょうか。
とにかく体力を使うところです。全身を使うので筋肉痛やすり傷はつきもの。作業を終えると身体中がもう痛くて、痛くて。
あと、新築の家に敷く場合、工期を守るのが本当にたいへんです。「家は建ったが畳は未完成」なんて、ありえないですから。ですので、家が建つ速度で絶対に畳を仕上げなければなりません。デザイン畳は、その大変さゆえ掛け持ちができないですから、現状のままでは儲からないですね(苦笑)。
このままではヤバいので、今後は作品としてデザイン畳を作って額装し、絵画の感覚で販売するという方法も考えています。
以前は畳に関心がなく、跡を継ぐ気もなかった
――山田一畳店は創業から150年を超える老舗ですが、山田さんは技術者として承継したい気持ちが以前からあったのでしょうか。
実は、なかったです。自分が今、畳を作っているのも不思議なくらい興味がなかった。8年前までは工場の機械に触った経験すらなかったですね。
僕が生まれるぐらいまで畳業界はけっこう潤っていたんですよ。けれども新築の家に和室が減ってきて、フローリング文化になり、景気が急速にしぼんでいきました。幼いころから畳業界が衰退してきているのを肌で感じていたので、自分の職業にしたいとは思わなかったんです。
150年以上続いた伝統が父の代で終わってしまうのは申し訳なかったけれど、「しょうがない」というのが本音でした。
――どうして畳製造の家業を継ぐ気になったのでしょうか。
家に戻るまでは東京の建築士事務所で工事にまつわる業務やっていたんです。20人ぐらいの小さな会社だったので、現場監督、営業、設計など、建築に関する仕事はたいてい一人でやっていました。
一通りの作業ができるようになり、独立を考えるようになったんです。起業して「設計のアプリケーションを開発したい」と思い、実家に戻ってきました。会社を興す資金を貯めるために家賃などを節約したかったのが理由です。畳屋の跡を継ぎたいという気持ちは、まだなかったですね。
ただ、戻ってきたものの、ちょっとダラけてしまいましてね。起業準備といえば聞こえはいいですが、ほぼニートといえる状態でした。実家でだらだら過ごしているうちに、畳作りを手伝うようになったんです。家で何もしないでいるわけにはいきませんから。
そうするうちに、先ほど話した「ハイエースの荷台に敷く畳」の依頼があり、畳に関心をいだくようになったんです。それまで自分のなかに「畳は四角」という固定観念があったのですが、「畳って、こんなに自由な表現ができるんだ。すげえな!」と見る目が変わりました。インテリアとして、こんなに面白い物はないなって。建築家の魂に火がついたのかもしれません。
――デザイン畳を作ることに、反対の声はありましたか。
父からは「もっと一般的な畳を作り続けろ」と今もよく言われます。
でもこれって「伝統産業の跡継ぎあるある」なんですよね。同世代の鋳物職人、和菓子職人、みんな新しい事業を始めようとして先代と衝突しています。
僕としては、伝統工芸も時代に合わせていかなければならないと思うんです。斜陽産業は、時代に合っていないから衰退したのですから。時代に合わせて人に認められるから、長く続けられる。伝統とはそういうものだと思うのです。
キングコング・西野氏の助言で「すごい畳」の制作意欲に火がついた
――デザイン畳を広めるために、何か活動をされたのでしょうか。
広告宣伝をやりたかったのですが、広告費にかけられるお金はどこにもありませんでした。そのかわりSNSなどを通じて建築家に「曲線の畳を作っています」とメールを送ったんです。
新築やリフォームの場合、建築士が畳屋を選ぶ場合が多いんですよ。日本では新築住宅が1年間に80万戸くらい建つ。そこから0.1%でも8000戸なので、「積極的にアプローチすれば、そこそこの数の畳の注文を取れるな」と踏んだんですよ。建築家って、新しい素材を面白がってくれる人が多いので。
1日30件ずつ、それを3年間続けて、海外を含め、のべ、およそ3万件くらいメールを送りました。アナログな作業ですが、無料でやれることは、とことんやりましたね。
――初めから軌道に乗ったのでしょうか。
いやあ、全然です。2019年ぐらいまでは注文がなかったですね。あまりにもうまくいかないので、キングコングの西野さんが経営者にアドバイスするテレビ番組『株式会社ニシノコンサル』(AbemaTV)に出たんです。そこで西野さんに「まだ伝統に遠慮している。もっと突き抜けてみたら」と助言をいただきました。そうして、「よし、とことんやってみよう!」と腹をくくったんです。
それから4カ月かけて作ったのが、「龍の畳」です。はじめは20枚くらいの構成だったんですが、一気に一桁増やし、200枚以上の畳を使いました。鱗やヒゲも畳で作り、正面から見ると歯が白く見えるのに、反対側に立って見ると金色に変化するという光のマジックも採り入れることができた。
これをTwitterでツイートしたところ約7万もの「いいね!」がつくほど大きな反響となり、次第に注文が入りだしたんです。
なかには高級料亭から「壁に貼るデザイン畳」の依頼がありました。「そういう用途もあるのか」と自分自身が気付かされましたね。
「もっとすげえ畳を作りたい」。枯山水に舞い降りる鶴に挑戦
――デザイン畳を作って「よかった!」と感じる瞬間はどんなときですか。
最初の「ハイエースの畳」を作ったとき、「すげえ!もしかして畳って、すげえことができるんじゃないか」と感じてテンションが上がったんです。あの日の感動を超えられた瞬間が、作ってよかったと思えるときですね。いろんなデザインに挑戦して、「うわ、すげえ」という感覚になれたとき、やってよかったと感じます。「これはすげえな」をどれだけ繰り返し感じ続けられるか、それが常に僕の課題です。
――今後、読者が山田さんの新作を鑑賞できる機会はありますか。
7月1日に京都の東福寺の塔頭(たっちゅう)「光明院」で新しい畳をお披露目する予定です。光明院は障子を開けると、京都の代表的作庭家、重森三玲(しげもりみれい)による枯山水庭園が広がっています。そこに鶴が光を放ちながら舞い降りて、水を飲んでいる、そういった幻想的な世界を畳で表現したいと考えているんです。現地に通って光の反射角度を測りながら、制作中なんですよ。
――将来はどのような畳をつくりたいとお考えですか。
やっぱり、世界を目指したいですね。畳って日本にしかないんです。畳を床に敷く文化は中国にも台湾にも韓国にもない。日本にしかないからこそ、世界の人を驚かせる「すごい畳」を作りたい。そうして畳という文化自体が世界に拡がっていけばいい。そのきっかけになりたいと考えています。
(文:吉村智樹)
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著書に『VOWやねん』(宝島社)『ビックリ仰天! 食べ歩きの旅 西日本編』(鹿砦社)『吉村智樹の街がいさがし』(オークラ出版)『ジワジワ来る関西』(扶桑社)などがある。
朝日放送のテレビ番組『LIFE 夢のカタチ』を構成。
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