元チャットモンチー・福岡晃子さんが出産後に徳島へ移住した理由。
ロックバンド、チャットモンチー完結後、活動拠点を東京から故郷の徳島県へと移したベーシストの「accobin」こと福岡晃子さん。彼女が選んだ移住先は生まれ育った地域…ではなく、軽い気持ちで訪れた縁もゆかりもない海沿いの町でした。都会の喧騒を離れ、新天地でリスタートした彼女の決断の背景には何があったのでしょうか?東京を離れた理由、徳島への思い、子育てと仕事の両立についてなど、「今やりたい気持ちを大事にする」彼女の生き方について伺いました。
迷ったら「おもしろそうな方」を選ぶ。新しい世界が見たいから
—福岡さんはご出産された2020年に徳島に拠点を移されました。なぜ、東京を離れる決断をされたのですか?
2018年まで私が所属していたチャットモンチーというバンドが完結して、2019年に妊娠、2020年に出産をしました。ちょうどコロナの第一波の時期で、出産直後に緊急事態宣言が出て、家からまったく出られなくなってしまったんです。
—大変な状況でしたね。
閉鎖感のある東京の部屋で、家族でぎゅっとなって生活していました。子どもって生後1カ月ごろから外の空気に触れさせ始めるのですが、当時はコロナがまだ未知の病気という感じだったので、どういうふうに子どもを外に出したら良いかわからず、ずっと部屋にこもっていたんです。
ソロでアーティスト活動は続けていたものの、ライブもイベントも中止になって音楽の仕事は全部リモート。東京にいる意味ってあるのかな?という思いがぼんやり浮かんできました。
—具体的に移住を考え始めたきっかけはなんだったのですか?
緊急事態宣言が解除されてから、子どもを連れて地元・徳島に里帰りしたんです。犬と猫も連れて自分の車で帰ったのですが、皆さんが県外ナンバーの車に対してとても敏感になっている時期で、めちゃめちゃ冷たい視線を向けられました。地元に帰っても居場所がなかったんです。
それなら人があまりいない場所に行こうと、ほとんど行ったことのなかった海沿いの町へドライブしに行ったんです。そしたら犬がめちゃめちゃ喜んでいたんですよ。
東京では人となるべく接触しないように散歩も最小限にしていたのですが、犬が大喜びで海岸を走り回っているのを見て、初めて移住を現実的な選択肢として考えはじめました。それまではずっと東京でやっていくんだろうなって思っていたんですけどね。
—生まれ育った町とは違う地域に惹かれたんですね。
私が育った町はそれなりに栄えていたのですが、その海沿いの町は本当に人が少なくて自然がいっぱいで。ここでなら新しい気持ちで暮らせるかもと夫に伝えたら、彼がその場で役場に電話をかけて「空き家ないですか?」って聞き始めたんです。
—すごい行動力ですね。
それで、翌日に内見して、その家が気に入って、すぐに引っ越すことが決定しました(笑)。私はあまり深く考える間もなく、なんかおもしろそうやなって感覚だったんですけど、夫はすぐに動きながらも実はいろいろ考えていたみたいで。
徳島の家の家賃は東京の家賃の5分の1程度です。だから、移住して1年間だけ住んだとしてもその差額で引越し代の元が取れる。損はしないということが分かったら気軽に試してみて、もし合わなかったら東京に戻れば良いじゃん、って考えたみたいです。なので、最初は腰を据えるというよりは、お試しのつもりで住み始めました。
—仕事もある中で生活の拠点を移すのは大きな決断だと思うのですが、福岡さんはなぜ移住の覚悟を決められたのでしょうか?
迷った時は「おもしろそう!」と思った方を絶対に選ぶようにしていて。普通に暮らして安パイ、大変だけどおもしろそう、という2つの選択肢があったら、絶対に後者だなって。昔からそういうふうに考える性格なので、迷いはなかったですね。
チャットモンチーからドラムのメンバーが脱退した時も、私がベースからドラムに転向したんです。それはもう大変で、めちゃめちゃ練習したんですけど、「絶対楽しいだろうな」っていう直感を信じたんです。そういう選択をした方が後悔しないと思うし、後悔したとしても修正したら良い。そうやってずっと挑戦し続けたい、見たことのない世界を見たい、と思っています。
「1人で頑張らなくて良い」と徳島の町が教えてくれた
—2023年にソロ活動の名義を「accobin」に変更されましたが、移住後、音楽活動においてはどんな変化がありましたか?
音楽と徳島の結びつきをもっと深めて作品にしたいという思いがすごく強くなりました。徳島の人と一緒に作品を創りたくて、ミュージックビデオも徳島の撮影チームにお願いしているんですよ。地元の格好良い職人さんやクリエイターを主役に、私の音楽をBGMとして使用するシリーズも制作しています。
正直、自分がこんなに徳島のことを好きになるなんて予想もしていませんでした。学生時代は地元を離れたくて仕方なかった。何もない場所だなって感じていたんです。でも、今となっては、なんで徳島の豊かさが見えていなかったんだろうって。当時の自分には見る目がなかったんだなということに気付かされました。
—生活スタイルもガラッと変わったのでしょうか?
ライフスタイルは180度、いや、それ以上変わりましたね(笑)。東京だとほかの人への遠慮もあって、子どもをちょっと見てもらうのにも「ごめんね」と何度も謝っていたんです。でも、この町だと子どもはみんなで育てるという感覚が普通で、子どもが隣の家で朝ごはんを食べさせてもらったり、仕事が遅くなったら私の代わりに友達のお母さんが保育園にお迎えにいってくれたりして。事前にもちろん連絡はしますけどね。
うちの子は自閉症スペクトラムという特性があるのですが、みんな理解を示してくれていて、スーパーで走り回っていても店員さんが見守ってくれていたり、レジに変なものを持っていったら「これはいらんやろ?」って返してくれたりするんです。
—東京と比較すると、他人との関係性がすごく近いですね。
私はこういうコミュニケーションが得意ではなかったんです。プライバシーがなくて息苦しいと思っちゃって。でも、今はそれが心地良いんですよね。周りの人たちが助けてくれたり、見守ったりしてくれる環境に、本当に助けられています。
それこそ、東京にいた時は、「みんな頑張っているから一人でやらなきゃいけない!」と気を張ってばかりでしたが、徳島に来て「みんなで育てていけば良いんだ」と教えてもらえたような気がします。
他人の評価を気にせず、「今やりたいこと」に正直に
—仕事と子育てを両立させるために意識していることはありますか?
家族の時間を第一に考えて行動するということを夫婦で決めました。どんな子でも大変だと思うのですが、うちの子は特性もあってめちゃくちゃ走り回りますし、エネルギーを発散しないとその日1日が終われないんです。だから、いろんな場所に連れていったり、保育園に行くときも途中で魚を見せたり虫を捕ったりと寄り道していて。そういうことは妥協せずに絶対やると決めています。
仕事優先となると、時間どおりに行動しなきゃという意識になって、子どもが親の都合に合わせなきゃいけなくなる。うちは、子どもにストレスがかからないよう、はたらき方も意識的に変えていっていますね。
あと、将来のことはあまり考えないようにしているんです。数カ月先のことは考えるけど、2年先、3年先のことは分からない。この仕事をやっておいたらしばらくは安泰だなとか、そういうことも考えなくなりました。
仕事も子育ても、今自分がやりたいことを優先していますね。
—以前は自分のやりたいことを優先する、という考えではなかったということですか?
チャットモンチーではとにかくみんなが格好良いとか、新しいとか思うものを創りたかったですし、ある程度評価をされたいという思いもありました。本にたとえるならば、小説のように起承転結がちゃんとあって、読んだ人が絶対におもしろいと思えるものしか世に出してはいけない。そんな気がしていました。
でも、そういうことはもうやり切ったなって。そういうやり方はできなくなったし、今はむしろどれだけ自然な自分に近いものを出せるかというエッセイを作るような姿勢で音楽に向き合っています。
—環境が変わり、インスピレーションを受けるものも変わったのでしょうか?
東京にいた時は、航空障害灯っていう飛行機の端っこにある赤いランプがすごく好きで。朝4時くらいに寝て昼に起きる生活をしていたんですけど、朝方にあの人工的な光を見るのがすごく好きでした。
徳島に住み始めてからは自然の造形の美しさにはっとします。山や植物の葉っぱってなんでこんなにきれいな見た目をしているんだろうとか、そういうことにおもしろさや美しさを感じるようになってきました。
—本当にいろんな変化が起きたんですね。
チャットモンチーというバンドは「やりたいこと」の延長として活動していましたが、「仕事」でもありました。なので、自分のことは置いてけぼりにして、バンドとして成し遂げたいことを優先する。そんな意識が強かったように思います。
自分個人の生き方などはまったく考えず、24時間バンドのことで頭がいっぱいな人生でしたが、徳島に移住して、自分がどういうふうに生きたいかを考えるように変わっていきましたね。仕事と暮らしの環境も、音楽に対する私の価値観も、本当に大きく変化したと思います。
—これから徳島を拠点にどんな活動をしていきたいですか?
先ほどお話したミュージックビデオのシリーズもその1つなのですが、徳島をPRしていこうと思っているんです。村おこしや地方創生をしたいというわけではなく、徳島って歴史があっておもしろい町なんだってことを県外の人に知って欲しいんです。それに私自身、そう思えなくて徳島を離れてしまったので、徳島に住んでいる人に地元を誇りに思ってもらえたら良いなって。誰に頼まれたわけでもないんですけどね(笑)。でも、頼まれたことではないからこそ、自分の思う通りに、めちゃくちゃ好き勝手にやっていきたいですね。
(文・高橋直貴 撮影・weathershop)
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