「空っぽのランドセル」で通学した難病の少年。岸谷蘭丸が掲げる「30歳で都知事」。岸谷五朗・岸谷香の長男。

2026年8月19日

スタジオパーソルが運営するYouTubeでは、さまざまなはたらく人の履歴書から「私らしいはたらき方」について深掘りインタビューを行っています。

今回密着したのは、教育系スタートアップMMBH株式会社の代表であり、イタリアの大学に進学、タレント活動も行う岸谷蘭丸さんです。父は俳優の岸谷五朗さん、母は元『プリンセス プリンセス』の岸谷香さん。芸能一家の長男として生まれた岸谷さんですが、その半生は「小児リウマチ」という難病との闘い、そして世間に広く知られた両親を持つがゆえの“2世”というレッテルとの葛藤の連続でした。

そんな岸谷さんが、高校生で単身海外へ渡り、本名を隠して「柚木蘭丸」としてインフルエンサー活動を始めた理由とは一体なんだったのでしょうか。「自分は何者か」を問いつづけた岸谷さんの歩みには、やりたいことが見つからずに立ち止まっている人へのヒントが詰まっていました。

※本記事はYouTube『スタジオパーソル』の動画を一部抜粋・編集してお届けします

「空っぽのランドセル」を背負った少年時代。満たされない日々の原点

岸谷蘭丸さんは、3歳から10歳ころまで「小児リウマチ」という難病を抱えていました。小児リウマチとは、免疫の異常により関節に激しい痛みが出る病気です。現在は治療の選択肢が増えていますが、当時はまだ確立された治療法がなく、岸谷さんは障害者手帳の交付を受けながら生活していたと言います。

「関節が痛くて、重いランドセルを背負えなかったんです。でも両親は、病気を理由に何かをあきらめさせるようなことはしませんでした。荷物はすべて親が学校に届けてくれて、ぼくは中身が空っぽのランドセルを背負って、電車に乗って通学していました。周りの子と同じように毎日学校に行く経験ができたので、『自分だけ特別扱いされている』という引け目を感じずに済んだんです」

ただ、岸谷五朗さん・岸谷香さんの長男という、いわゆる“2世”の立場は岸谷さんに別の意味での「役割」を意識させました。

「人と違うこと、目立つことは良いことだと思いながら育ちました。それに、『お母さん紅白に出ていたよね』と言われると、自然と『紅白に出ている親の息子らしくしなきゃ』という意識が芽生えます。『有名人の子どもはやっぱり違う』と思われたほうが周囲からの扱いも良くなる、と思い、無意識のうちにそういう立ち居振る舞いをしていた節はありますね」

周囲の期待に応えようとする一方で、自分が本当に何を求めているのかは分からないまま。病気のハンデを乗り越えようとした日々も、2世としての役割を演じた日々も、どこか「自分ではない誰か」になろうとしていた時間だったのかもしれません。

「このままじゃダメになる」自分を変えるために選んだ、アメリカという環境

中学受験を経て早稲田実業学校中等部に入学した岸谷さん。そのまま内部進学で早稲田大学まで進める環境に、当初は満足していたと言います。ところが――。

「何も頑張っていない。将来の夢もない。学校は楽しいけど、充実はしていない。そんな違和感が徐々に大きくなっていきました。中学受験のために必死に勉強していたころの自分のほうが輝いていたと思えて、『このままでいいのか』と焦りはじめました」

中学2年生のとき、岸谷さんは将来について真剣に考え始めました。「自分にはどれくらいのお金があれば幸せなのか」と現実的な問いを自分に投げかけます。

「両親のおかげで成り立っている今の生活水準を下げたくない。それなら、将来は自分の力でそれ以上のお金を稼ぐしかない。ただ、当時の自分にはそんな実力はなく、むしろ『このまま甘えた環境にいたら、一生自立できずダメになってしまう』という恐怖心のほうが強かったんです。だからこそ、あえて言葉も通じず親の名前も通用しない過酷な場所を、“頑張らざるを得ない環境”を求めて、アメリカの学校に進学する決意をしました」

岸谷さんは16歳で渡米します。覚悟の上での選択でしたが、英語がまったくできない状態での渡米は想像以上に過酷でした。教室の場所すら分からず、スクールバスの集合時間も聞き取れない。帰りのバスに乗り損ねて学校に一人取り残され、寮の管理人が探しに来たこともあったと言います。

「マジで死ぬかと思いました。授業についていくために、1日16~17時間ぐらい英語を勉強していたと思います。寝る時間も惜しんで勉強するしかありませんでした」

猛勉強の日々。しかし、その苦しみの中で岸谷さんは求めていた解放感も味わいました。

「アメリカでは誰からも“親の七光り”という目で見られないので、本当にうれしかったですね。生まれてはじめて自分の実力だけで評価される世界に立てたので」

頑張れる環境を求めて飛び込んだアメリカで、岸谷さんは一人の人間として見てもらえることの喜びを知りました。

「自分の看板」を背負う覚悟。本名を名乗ると決めた日

アメリカの高校を経て、イタリアのボッコーニ大学に進学した岸谷さんは、現地で起業という道を選びます。

「最初は明確なビジョンがあったわけではありません。立ち上げから1年ほどは、別名の『柚木蘭丸』としてのオフ会を開催してお金を集め、会社の赤字を補填するような状態でした。意味がわからないですよね(笑)。でも、とにかく必死だったんです」

インフルエンサー活動で食い繋ぐ、泥臭いスタートでした。しかし、試行錯誤を繰り返すなかで、次第に英語学習や海外進学を総合的にサポートする教育事業が主軸になっていきます。そして、事業が軌道に乗りはじめ、スタッフの生活を背負うようになると、いつまでも別名のままではいられないと感じるようになりました。

「責任を負う立場になったのに、本名を名乗らないのはおかしいと思ったんです。とくに教育系の事業は信頼が命なのに、偽名を使っていては筋が通りません。変に隠しつづけるより、覚悟を決めて出すしかないと思いました」

とはいえ、「本名を明かすのは怖かった」と岸谷さんは振り返ります。本名を出せば、また2世として注目されるかもしれない。何を成し遂げても「親のコネ」と言われるかもしれないし、失敗したら「やっぱり2世か」と叩かれるかもしれない。それでも、逃げつづける自分ではいたくなかったのです。

自分が抱える違和感と向き合い、心の声を決して無視しない。その上での覚悟は、結果的に新たな道を切り開くことになりました。本名公開後、岸谷さんの活動は一気に広がりました。テレビ番組『しくじり先生 俺みたいになるな!!』に出演したほか、参議院選挙では若者の政治参加を促す啓発活動にも携わるなど、「岸谷蘭丸」個人としてさまざまなメディアに出演するようになったのです。

「欲の解像度を上げろ」——モヤモヤを抱える若者へのメッセージ

今、岸谷さんには一つの大きな目標があります。2032年、30歳で東京都知事になることです。

「小学生のころからこども向けの新聞を読むのが好きで、選挙カーや街頭演説を見ては『かっこいい』とあこがれを抱いていました。政治家は、数少ない『なりたい』と思えた存在だったんです」

目標の原点は、幼少期の純粋なあこがれにありました。しかし、今の岸谷さんが都知事というゴールを掲げる背景には、これまでの半生で受け取ってきたエールを今度は自分が送る側に回りたいという想いがあります。

「ぼくが都知事になることで、『あいつがなれるなら、自分にもできるんじゃないか』と多くの若者に思ってもらいたいんです。振り返れば、病気で動けなかったぼくに『周りと同じ経験』をさせてくれた両親や、内部進学の道を捨てて海外へ飛び出したぼくの選択を『そっちのほうが良くね?』と肯定してくれた大人たちがいました。そんな存在に救われて、ぼくは今ここに立っています」

自らが肯定されることで道を切り拓いてきたからこそ、今度は自分が希望を見せる側になりたい。その決意は、2世という宿命を前向きに捉える力に変わっています。

「正直、2世という立場は注目されやすいですが、裏を返せば、挑戦する姿が多くの人の目に留まりやすいということでもあります。だからこそ、ぼくの行動が誰かの希望になれたらうれしいです。それは都知事を目指すことも、今の会社で教育に関わることも同じです。自分の活動を通して誰かにきっかけを与えられたら、それがぼくにとって一番の充実感になりますから」

会社経営、メディア活動、そして都知事という目標。多方面で挑戦を続ける岸谷さんに、「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするためのアドバイスを伺いました。

「『自分の欲に忠実であれ』ということに尽きます。ぼく自身、生活に困っているわけではないのに、どこか心が満たされない時期がありました。それは『自分が本当は何を求めているのか』という欲の解像度が低かったから。そこであらためて自分と向き合い、『今の生活水準を下げたくない』『何も行動しない自分のままでいたくない』という本音をはっきりさせました。だからこそアメリカに飛び込む決断ができたし、本名を公開する覚悟も決められたんだと思います」

「夢や目標がなくてモヤモヤしている人は、まず誰かを見て『うらやましい』『悔しい』と思う瞬間に目を向けてみてほしい。そして、その感情を深掘りしてみる。自分が欲しいのはお金なのか、自由なのか、承認なのか、充実感なのか。そうやって欲求を細分化していくと、自分にとって絶対に譲れないものが見えてくるはずです。だから、みなさんもいろんな場所に飛び込んで、いろんな人に嫉妬して、自分の欲を見つけていってほしいですね」

※今回お伝えし切れなかったフルバージョンの動画はYouTube『スタジオパーソル』にて公開中

(「スタジオパーソル」編集部/文:間宮まさかず 編集:いしかわゆき、おのまり)

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ライター/作家間宮まさかず
1986年生まれ、2児の父、京都在住のライター・作家。同志社大学文学部卒。家族時間を大切にするため、脱サラしてフリーランスになる。最近の趣味は朝抹茶、娘とXGの推し活、息子と銭湯めぐり。
著書/しあわせな家族時間のための「親子の書く習慣」(Kindle新着24部門1位)

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