偏差値38、不動産営業を1年で退職、30歳で皿洗い。崖っぷちのタロサックがYouTube登録100万人を掴むまで

2026年9月2日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。

今回お話を伺ったのは、オーストラリア在住の英語系YouTuberタロサックさん。登録者数は100万人を突破し、彼が手がける英語コーチング事業は多くの支持を集めています。

一見華やかに見える今のキャリアですが、そこに辿り着くまでの道は決して平坦ではありませんでした。新卒で入社した不動産会社をわずか1年で退職し、ワーキングホリデーでオーストラリアへ。永住権を目指してシェフとしてはたらくも、コロナ禍で失職。そんな「人生のどん底」を経験したことが、YouTubeという新たな挑戦のきっかけになったと言います。

数々の苦難を乗り越えた今だからこそ、「人生の主人公は自分」と力強く語るタロサックさん。多彩なキャリアを切り拓いてきたその歩みから、モヤモヤを抱える若者に「前向きにはたらく」ためのヒントを伺いました。

上京を目指すも偏差値38の大学に不合格。浪人中に英語の楽しさに触れる

──英語系YouTuberやコーチングの事業をして活躍されているタロサックさん。幼いころから英語や海外への憧れがあったと伺いましたが、学生時代はどんなすごし方をされていましたか?

新潟県の田舎町で生まれ育ち、小学校6年間はECCジュニアに通っていました。母が絵本で読んでくれた『赤毛のアン』やテレビで流れていたOasisの「Don’t Look Back in Anger」などの影響から、自然と英語や海外への興味が湧いていったように思います。

でも、当時は特段英語に注力していたわけではなく、音楽も好きだったことから漠然と「音楽で食べていきたい」と考えていました。なぜか当時は「音楽で成功するには東京に行かないと始まらない」という思い込みがあったんですが、学生時代は絵に描いたようなちゃらんぽらんだったもので……(笑)。ほとんど勉強をしておらず、受験の仕組みすら分かっていない状態でした。

幼いころからずっと、「自分は何者かになれる。この人生は自分が主役だ」といった根拠のない自信があったんです。だから準備しなくても受かるといった気持ちがどこかにあったのかもしれません。その結果、「名前を書けば受かるんじゃないか」と甘くみていた偏差値38の大学を2つ受けて、どちらも不合格。その瞬間「このまま一生、地元から出られないのか?」と強い絶望を感じました。

だからこそ、なんとかこの状況を変えたい一心で、親に頼み込み、浪人して予備校に通わせてもらうことになりました。

──そこから猛勉強の末、外国語を学べる大学に進学されたそうですね。

実は、本格的に英語にのめり込んでいったのは浪人時代なんです。海外の音楽をきっかけにSNSで知り合ったリトアニア人と、拙い英語でやり取りを始めて。

当時はまだガラケーが主流の時代でしたが、塾から帰った夜11時あたりから、ほぼ毎日のようにSkypeで1時間ほど「今日は何したの?」「好きな日本のミュージシャンは?」といった他愛もないやり取りを繰り返していました。

やがて世界中に話し相手が増えていって、気付けば英語で会話すること自体が楽しみになっていったんです。勉強をしている感覚はほとんどありませんでしたが、その積み重ねが確実に力になっていたのだと思います。

結果として、センター試験のリスニングは50点中48点に。大学も晴れて外国語学部英文語学科に進学し、入学時のテストでは特進クラスに入ることができました。

新卒で大手営業職に就くも1年で退職。あこがれの海外移住のためオーストラリアへ

──大学卒業後は、不動産会社の営業職に就かれたそうですね。

そうですね。浪人もしていたし、親を安心させたいという気持ちが強くて。とにかくお金を稼ぎたかったんです。英語を仕事に使うことはあまり考えず、大きなお金を動かせそうな不動産や証券会社などの業界に絞って就職活動を進め、ご縁のあった会社に入社しました。

──そこからわずか1年で退職を決意されたきっかけはなんだったのでしょうか?

やりがいを求めて選んだ仕事ではなかったので、とにかく毎日がつらくて仕方がありませんでした。ミーティングでは、上司や先輩からは毎回「期待外れすぎて言葉がでない」と怒鳴られていました。厳しい口調で詰められると、頭が真っ白になってしまい、余計にできなくなる。そんな負のループがずっと続いていました。

毎日外で泣きまくり、「明日が来るのが嫌だ」と思っていました。そんな中でふと、「このまま日本ではたらき続けるのか、それとも別の道を選ぶのか」と考えるようになったんです。

留学経験はなかったものの、学生時代にはバックパッカーとして世界を旅した経験がありました。海外へのあこがれもずっと持っていたことから、「人生は一度きりだしな」と思い、1年で退職することを決意しました。

その後はアルバイトでお金を貯めて、ワーキングホリデー制度を利用してオーストラリアへ渡りました。

──現地での生活はいかがでしたか?

一言で言うと、やっぱり最高でしたね。到着して最初の1週間は、泊まっていたホステルがとにかく寒くて、外は雨ばかりで「思い描いていたキラキラした海外生活と違うな……」と、少しホームシックにもなりましたが、すぐに現地で友達ができました。

生活に慣れてくると、毎日がどんどん楽しくなっていって。オーストラリアに来てわずか2〜3週間で、「ここに永住したい!」と思うほどになっていました。

──オーストラリアの何が、そこまでタロサックさんを惹きつけたのでしょうか?

一番は、職場の空気のよさでした。現地の派遣会社に登録して、展示会場で絨毯を敷いたり、ブースを組み立てたり、夜中にショッピングセンターのクリスマスツリーを設置したりと、さまざまな仕事を経験しました。

どの現場でも共通していたのは、上司であってもフラットに意見を伝えられること、そしてはたらく人全員がプライベートを何よりも大切にしていることです。定時になれば帰るのが当たり前で、仕事に追われている雰囲気は一切ありませんでした。

日本であんなに苦しんで、「仕事に行きたくない」と毎日泣いていた自分にとってはあまりに大きな衝撃でしたね。「ここでなら、自分をすり減らさずに生きていける!」と確信しました。

永住権のためシェフへ。コロナ禍で仕事を失ったどん底が、YouTubeへの扉を開いた

──約2年間のワーホリ生活を満喫されたあと、オーストラリアへの永住を目指してシェフの専門学校に進まれたそうですね。

当初は、はたらいていた家具屋から就労ビザが出るかもしれないという話があったのですが、弁護士に相談すると、難しいと分かって。そこで永住権を取得しやすいのは、「シェフ」か「公認会計士」だと聞いて。

料理をそれまでほとんどしたことがなかったのですが、会計士はさらにハードルが高いなと。オーストラリアで理想の生活を続けるためには、この道を選ぶしかないと考え、未経験のままシェフとしての道に進みました。

──新たなキャリアを海外で築き始めたのですね。当時はどんな生活でしたか?

正直、人生で一番苦しい時期でした。料理の学校に通っても、それは心からやりたい勉強ではなく、あくまで永住権のための手段。膨大な課題に追われ、寝る間を削るような日々をすごし、「ここまでして、自分は本当にオーストラリアにいたいのか?」と数え切れないほど自問自答しました。

数年が経ち、気づけば30歳目前に。周りを見渡せば、日本の友人たちは家を買い、車に乗り、家庭を築いている。一方で自分は、アルバイトで得た収入のほとんどが学費やビザ、弁護士への費用に消え、手元には残らない。まさに自転車操業のような生活を毎月送っていました。

「人生の主人公は自分だ」とどこかで信じていたものの、目の前には何も築けていない現実がありました。

プライベートでもさまざまなことが重なり、精神的にも限界で、メンタルクリニックに通うほど追い詰められていました。思い描いていた理想とあまりにもかけ離れた現実。そのギャップに、心が悲鳴を上げていたんです。「もう日本に帰国しないといけない」と考え始めていた矢先、追い打ちをかけるようにコロナ禍でシェフの仕事も失いました。

──まさに、人生のどん底ですね。

皮肉にも街がロックダウンして外に出られなくなり、シェフの仕事を失ったことで、強制的に立ち止まる時間ができました。でもその時間があったからこそ、少しずつ心が回復していきました。

そんなある日、友人の言葉をふと思い出しました。

ぼくはオーストラリアにきてから「海外はワークライフバランスがいいし、チルで最高だ!」と平和ボケしたことを言っていたんです。でも彼は、「お前はそんな人間じゃないだろ。日本にいたとき、目をギラギラさせて『何か成し遂げる』って言ってたじゃないか」とずっと言いつづけてくれたんです。

当時のぼくは本当にお金がありませんでした。何かを立ち上げる知識も気力も考えもなかった。でも、手元には一台のスマホと、人より少しだけ長けた英語力だけがあった。そこで「YouTubeをやろう」と決めたんです。

コロナ禍は、間違いなくぼくの人生の大きなターニングポイントでした。

──YouTubeの活動で、海外の方にインタビューする動画がとても印象的です。現在のスタイルにたどり着くまでにどんな試行錯誤や葛藤がありましたか?

最初は、現地の情報発信やおしゃれなカフェを巡る動画を出していました。ただ、まったく数字が伸びなかったんです。そこから独学で毎日、動画の伸ばし方を研究しました。マーケティングの観点から「視聴者は何を求めているのか」を徹底的に考えつづけたんです。

そこで、海外在住の日本人や英語系チャンネルで伸びているのは、「外国人に日本について聞いてみた」というインタビュー形式だと気付きました。ただ、どのチャンネルも動画は1回だけで、継続はしていなかったんです。だからこそ、自分のやりたいこと以上に視聴者が求めているニーズに徹底して応えていく覚悟を決めました。

でも、いざ企画を立てて一人でカメラを持ち、知らない外国人に「インタビューさせてください」と声をかけるのはかなりつらかったです。断られるのが怖くて、どうしても足がすくんでしまう。

1本の動画を作り上げるだけでも、想像を絶する時間と労力がかかりました。「もう二度とやりたくない」と思うほどの過酷なスタートでした。

撮影場所のビーチに到着しても、勇気が出なくてどうしても一歩が踏み出せない。誰にも話しかけられないまま、ただ時間だけを無駄にして、情けない気持ちで帰る日もしょっちゅうありました。

──そこまで「行きたくない」と足がすくむ中で、何がタロサックさんを突き動かしていたのでしょうか?

「週2本は必ず動画を完成させる」という自分との約束と、「過去の自分への怒り」です。

YouTubeの撮影を始めた当時は、鉄板焼きのシェフとしてはたらきながら続けていたんです。30歳で、6時間ぶっ通しで皿洗いをすることも珍しくはありませんでした。どんな職業も一つの仕事として素晴らしいけれど、ぼくの場合はその仕事が自分の一生を捧げたいことではなかったんです。

「いつまでこんなことやっているんだ。悔しいだろ?本気出せよ」と、皿を洗いながら毎日自分に言い聞かせていました。ここでYouTubeまで投げ出したら、自分の人生はこの先何も残らない。あのときは、やる以外の選択肢は見えていませんでしたね。

どんなに理想が遠くても関係ない。本気で思いつづけたことが、やがて人生になる

──あきらめずに自分との約束を守りつづけた結果、現在はYouTube登録者100万人やコーチング事業の成功など、大きな節目を迎えられました。ここまでご自身を変えたものはなんだったのでしょうか?

自分に対する不甲斐なさや怒りもありますが、一番自分を変えてくれたのは、瞑想(メディテーション)でした。

精神的な不調を患っていたときにお世話になっていたメンタルクリニックの先生から、「まだ薬に頼る段階じゃないから、朝日を浴びて毎朝散歩をして、瞑想しなさい」と言われたんです。スピリチュアルなものではなく、起きている状態で脳の思考を止め、とにかく自分の体に集中する。そんな習慣を毎日15分ずつ続けていきました。

頭の中のノイズが少しずつ減っていき、ふと「こうなっていたい自分」を自然に思い描くようになっていったんです。

YouTubeから贈られる100万人の金の盾を掲げている自分や、デスクに向かって必死に動画を編集している自分。インタビューで良い動画が撮れて、「よっしゃ!」と喜んでいる自分。さらには、欲しかった時計を身につけている自分。それらを手に取れるくらい毎日リアルに想像しつづけていきました。

本気で思いつづけることで行動が変わり、継続していくうちに、選択や習慣そのものも少しずつ変わっていきました。最初は小さな変化でしたが、その積み重ねがあったからこそ、あのとき本気で描いた景色は今、すべて目の前にあります。

──現状を変えたいけれど、「自分には無理だ」と立ち止まってしまう人も多いと思います。そんな方に、どんな言葉をかけたいですか?

今の自分を無理に変える必要はありません。継続して何かに取り組むことで、「今とは違う自分」をこれからつくればいいだけです。誰だって、本気でやれば必ずできます。

ぼくはYouTubeの冒頭で「今日も可能性無限大」というフレーズを言っているんですけど、根底にある想いは、すべてこの一言に詰まっているんです。

もし目の前にやるべきこと、頑張るべきものがあるのなら、たとえ失敗しても、めげずに取り組み続けてほしいです。

──最後に、スタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?

ぼくはこれまで何もなかった人間です。新卒で入った会社は1年で辞め、オーストラリアで精神的に不安定になるほど落ち込み、コロナ禍で仕事も一度失いました。
思い描いた通りにいかないことばかりで、自分は何のために頑張っているのだろうと悩んだことも数えきれないほどありました。

それでも、足りないものや失ったものではなく、自分にできることやこれからの可能性に目を向けるようになってからは、少しずつ前に進めるようになりました。

遠回りや失敗も含めて全ての経験だったと思える今、「人生の主人公は自分」という直感は、決して間違いではなかったと、自信を持って言えます。

そしてあなたも、あなたの人生の主人公です。その物語を楽しくできるかは、なりたい自分をどこまで本気で信じられるかだと思います。

自分を信じる覚悟が決まると「いつまでこんなことをしているんだろう」という愚痴は、「来年までに変えてやる」「新しいことに挑戦してみよう」といった言葉になり、日々の行動が変わります。その積み重ねの結果として、人生そのものが動いていくんです。

だからまずは、理想を自由に思い描いてください。現状はまったく関係ないし、シンプルなあこがれでも構いません。大事なのは、それを夢で終わらせず、「自分の未来だと決めつける」こと。そこからすべてが始まります。

今日が人生で一番若い日じゃないですか。理想の人生に向けて、あなたらしい一歩をぜひ踏み出してほしいです!

(「スタジオパーソル」編集部/文:もじじ 写真・編集:いしかわゆき、おのまり 写真提供:タロサックさん)

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取材ライター / インバウンドツアーガイもじじ
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