名門女子大卒、元銀行員の雪妃真矢を「プロレスラー」に変えた、ある悪役のひと言

2021年10月20日

フェリス女学院大学出身のプロレスラー

フェリス女学院大学といえば、全国的に有名な名門女子大学。女優やタレント、アナウンサーなど華やかな世界で活躍している卒業生も大勢います。

同じようにスポットライトを浴びる職業ながら、まったく別の舞台で華麗に、泥臭く闘い続けてきた女性がいます。雪妃 真矢(ゆきひ まや)さん。

所属しているのは、女子プロレス団体アイスリボン。2006年に旗揚げされた団体で、女子プロレス界で屈指の人気を誇ります。その中でも、現在2つのチャンピオンベルトを保持する雪妃さんは、多くのファンを抱える看板選手のひとり。ツイッターのフォロワーは、1万5000人に及びます。

雪妃さんは大学を卒業後、銀行に就職。しかし、安定した人生を投げ捨て、プロレスラーへ転身します。それなのに、デビュー2年目には「消えていなくなりたい」と思うほどに追い詰められたそうです。そのどん底から這い上がり、飛躍するきっかけとなったのは、あるヒール(悪役)の言葉でした――。

2021年8月28日 アイスリボン後楽園ホール大会「不思議な国のアイス2021」
雪妃真矢選手が石川奈青へサソリ固め

「どちらかというと落ちこぼれ」だった学生時代

「英語の先生とか通訳とか外資系の企業に勤めるとか、将来は英語を使う職に就きたいな」

中学時代から英語が得意だった雪妃さんは、フェリス女学院大学の文学部英文学科に入学した時、そう思っていました。しかし、シェイクスピアなど英文学を中心とした授業を受けているうちに、その夢は萎んでいきます。

「私は英会話をしたり、海外の文化に触れることが好きだったんですけど、英文学にはまったく興味がわかなかったんです。英文学科って英文学を学ぶんだって入学してから気付いて、愕然としました(笑)。興味がないから好成績を残せる気がしなくて、その時点で私が思い描いていた未来への目標が途切れましたね」

大学2年生になるとすっかりモチベーションを失い、授業に出ず、友人と遊び歩くようになりました。そのせいで、4年生の時には卒業するために必死に勉強する羽目に。「どちらかというと落ちこぼれでしたね。いまだに卒論が終わっていなくて卒業できない夢を見ます」と苦笑します。

銀行に就職して始まった苦痛の日々

卒業後の進路を考える時、周りにはアナウンサーやフライトアテンダント、あるいは一流企業への就職を目指す友人がほとんどでしたが、雪妃さんは別の道を選びました。学生時代にパニック障害を患ってしまい、満員電車に乗ることができなかったため、千葉の実家に戻って地元の企業ではたらこうと考えたのです。

父親からは「どこではたらくにしても、信用のある職に就きなさい。銀行員とか公務員は、誰に言っても安心される職業だろう」と言われたそう。「それもそうか」といくつかの企業の採用試験を受けたなかで、千葉に拠点を置く銀行に就職しました。

ところが、銀行の仕事は「まったく向いてなかった」。何よりもまず、髪の色は黒、化粧は地味にしてアクセサリーやネイルは禁止という身なりの規定が苦痛でした。

「大学時代はずっと派手だったから、社会にでたらこんなに窮屈なのって驚きましたね。銀行なんだからそれが当たり前で諦めなきゃいけないと分かっていたけど、イヤでしょうがなかった」

仕事にもなじめませんでした。顧客に電話をかけて、定期預金や金融商品を売り込む電話営業をしていると、冷たく断られるたびに傷つきました。ほかのどんな業務をしていてもやりがいを感じることがなく、そのうちに「周りがすごくまじめに一生懸命仕事をしているのに、興味も向上心もなくて申し訳ない」と感じるようになったそうです。

たまたま見たプロレスのファンに

当時の唯一の息抜きは旅行。大好きな韓国には何度も訪れ、国内もいろいろなところに行きました。それがある出来事を境に、旅行の予定で埋まっていた週末がすべてプロレス観戦に代わったのです。

社会人3年目のある日、姉から誘われて男子プロレス団体、DDTプロレスリングの試合を観に行きました。DDTはプロレスを徹底的にエンタメ化して、観客を楽しませることで人気を博しています。従来の男くさいプロレスのイメージを覆すエンタメプロレスに、思い切り心を掴まれたのです。

「その日は、場外乱闘で会場の庭まで出ちゃったり、たまたま私の隣が空席だったんですけれど、タッグマッチで場外に落ちてきた人がそこに座ってもう疲れたよって言ってたり、とにかく衝撃的でした。リングの中で起きることだけじゃなくて、観客と掛け合いをして、会場が一緒になって作り上げる競技なんだと初めて知りました」

すっかりプロレスに魅せられた雪妃さんは、毎週末、いろいろな団体の試合を観戦しに行くようになりました。そのうちに「なんであんなことができるんだろう、楽しそうだな、やってみたい」と思うようになり、DDTが開催しているプロレス教室に足を運びました。

憧れのリングの上に立つだけで楽しくて仕方なく、ほかの教室にも行ってみようと次に参加したのが、アイスリボンが主催している女子プロレスサークルでした。

実はそれまで、雪妃さんは女子プロレスを避けていました。「女性が戦うのは痛々しいし、汗でぐちゃぐちゃになって戦う姿は醜い」という先入観があったのです。しかし、サークルに参加した際に試合のチケットをもらったので、もったいないからと観戦してみると、目を開かされたそうです。

「メインイベントで、当時まだ中学生だったくるみさん(柊 くるみ)とつくしさん(春輝 つくし)がタイトルマッチをやっていて、ビックリするほど感動したんです。ぜんぜん痛そうとか、かわいそうとは感じなくて、めっちゃアスリートじゃん、すごくかっこいいなって思いました」

銀行員からの「転職」

この日以来、女子プロレスへの偏見がなくなり、アイスリボンの女子プロレスサークルに通うようになりました。と言っても、プロレスラーになりたいと意欲が湧いたわけではありません。リングの上で体を動かすことが「ただひたすら楽しかった」そう。それほど熱中したのは、理由があります。

「仕事はずっとやる気がないままだったから、社会人として努力して目標を達成するという成功体験がなかったんです。でも、リングの上では倒立前転、跳ね起き、三点倒立、何一つ上手くできなくて、大人になって初めてもっと上手くなりたい、小さい目標をクリアしていきたいという気持ちが生まれたんですよね」

しかし、週2回のサークルは平日夜の開催で、時間に間に合わせるためには仕事を定時に終える必要がありました。思うように通えない日が続き、「今日は絶対に定時であがる」と決めていた日に残業が入って、会社のロッカーで泣いたこともあります。練習に行きたい、でも行けない。この葛藤の中で、雪妃さんはある日、決心しました。

「私はこれからもずっと、やりたいことを諦めて、泣きながらやりたくないことを続けるのか?会社を辞めて練習生になれば、好きなだけリングで練習できる」

アイスリボンの代表、藤本 つかささんに相談すると、「会社は辞めなくていいよ。兼業OKだから」と止められましたが、何を言われても翻意する気はありませんでした。すると、決意が固いと知った藤本さんから、意外な提案を受けました。

「じゃあ、社員として、ここの事務職をやりながら練習すれば?」

安定した仕事を辞めて練習生になるという雪妃さんのことが心配だったのでしょう。雪妃さんにとって、それはとてもありがたい話でした。アイスリボンの運営企業ネオプラスの社員になるなら、銀行からの「転職」に過ぎないからです。

母親にプロレスへの想いと転職を打ち明けると、最初は「意味が分からない」と戸惑っていましたが、最終的には「本当にやりたいと思うことに出会えたなら、いいんじゃない。ただし、一生懸命やりなさい」と認めてくれました。

就職する時に「信用のある職に就きなさい」と言った父親には、期待を裏切ったような罪悪感から正直に打ち明けることができず、「転職するから」とだけ伝えました。

入門から5カ月でデビュー

アイスリボンの道場がある埼玉県蕨市に引っ越し、一人暮らしを始めた雪妃さんは、2014年6月、練習生兼事務員としてアイスリボンに加わりました。

この兼業は、想像以上にハードでした。チケットやグッズの管理といった事務員の仕事をしながら、道場の片付け、大会の備品の整理、先輩から指示された雑用など練習生の役目もこなさなければなりません。これに練習の時間も加わって、1年目はずっと疲れているような状態だったそうです。

それでも、休むわけにはいきません。入団時に、「フェリス女学院大学卒、元銀行員、英語堪能な女子プロレスラー誕生」という話題性からドキュメンタリー番組の取材が始まり、その影響で11月にデビューすることが決まっていたのです。

雪妃さんは学生時代にヒップホップダンスとバスケットボールをしていたものの、社会人になってから本格的に運動をしたことはありませんでした。デスクワーク中心の銀行員が5ヵ月でプロレスラーの身体になるのは、難しいことでした。

「体はひょろひょろで、ロープワークをしていたら背中の皮膚がえぐれて、骨にひびが入りました。だから11月にデビューっていうのが想像もできなくて、もっと練習させてほしい、もっと先にしてほしいって頼んだけど、ダメでした」

迎えた11月24日、タッグマッチでデビュー。初めてアイスリボンの試合を観た時、その戦いぶりに心を動かされた春輝 つくしとタッグを組んで試合に臨むも、敗れました。

「デビュー戦は忘れられませんね。緊張してどうしようもなくて。負けた後、その当時、高校生だったつくしさんに慰められました」

「やっぱりプロレスラーにはなれないんだ」

翌月には後楽園ホールのタッグマッチで初勝利を挙げましたが、それはどん底への入り口でした。2015年は2月、3月、5月とケガが重なり、10月に復帰するまで計8ヵ月間、欠場。この時、雪妃さんは「辞めたいというよりは、消えていなくなりたい」と思うようになっていたのです。

「フェリス女学院卒、元銀行員、外国語も喋れる新人って言われてきたけど、ぜんぶプロレスに関係ないことですよね。私は何もできないから、注目されるのがすごくイヤで。人気先行ってさんざん言われて、プレッシャーに勝てず、練習したことも出せず、いつもパニックを起こして試合がぐちゃぐちゃになって。もうやりたくない、人前に出るのが恥ずかしいと思っていました。プロレスが好きなだけでこの業界に入ったけど、やっぱりプロレスラーにはなれないんだって」

ここまで追い詰められても辞めなかったのは、ファンの存在があったから。欠場中、チケットやグッズ売り場に立っていた雪妃さんに「復帰するの待ってるから、頑張ってね」と声をかけてくれるファンがいました。試合に出てもいないのに、自分のグッズを買ってくれるファンもいました。

「その人たちのためにも、もう一度、ちゃんと試合できるところを見せなきゃいけないな」という想いがあったから、雪妃さんはギブアップしませんでした。

歴戦のスターヒールの言葉

ケガの恐怖と痛みが刷り込まれ、10月に復帰して以降もスッキリとしない戦いぶりを続けていた雪妃さんの転機になったのは、2016年3月からスタートした「7番勝負」。実績のある先輩レスラー7人と一対一で対戦するもので、戦績は1勝6敗というパッとしないものでした。

しかし、7番勝負の第2戦で対戦した歴戦のスターヒールで、女子プロレス団体OZアカデミーを主宰する尾崎 魔弓さんから試合後にかけられた言葉は、傷ついた子どものように身も心も縮こまっていた雪妃さんを解き放ちました。

「あんた、きれいなんだから、かっこつければいいよ。もっと堂々として、もっともっとかっこつけなよ。かっこつければかっこつけるほどいい、もっとふてぶてしくていい」

アイスリボンでは加入以来ずっと、一生懸命さが見えない、必死さが見えない、かっこつけるなと言われてきました。いくら真剣に取り組んでも同じように注意され続けて、「もう、どうしたらいいのか分からない」という状態でした。そのタイミングで、女子プロレス界の重鎮から「もっとかっこつけなさい」と真逆のアドバイスをされたことで、「一気に気が楽になった」と打ち明けます。

「尾崎さんには椅子とかチェーンとか傘とかでぶん殴られてボコボコにされたんですけど(笑)。プロレスを始めてから初めて自分が持っているものをいいよって認めてくれたのが、うれしくて。何をしたらいいか分からない、何をしてもダメっていう状態から救ってくれたのが尾崎さんです」

「雪妃魔矢」としてヒールデビュー

2021年9月18日 アイスリボン後楽園ホール大会「リボンの騎士たち2021」
得意技のハイキックを尾﨑妹加選手へ

この時、尾崎さんから「あんたはきれいだから、正危軍(自身が率いるヒールユニット)にほしい」と誘われた雪妃さんは、「強くなりたい、ついていきたい」という想いから二つ返事で加入を決断。1ヵ月後には、OZアカデミー主催の大会で「雪妃魔矢」としてヒールデビューを飾りました。

「アイスリボンでは、必死で一生懸命な姿を求められているから、その通りにやればいい。正危軍では、尾崎さんに言われた通り堂々とかっこつければいい。ふたつの顔が生まれたことで、何をどうしたらいいのか分からなくなっていた自分の心に整理がついたんです。どっちが本当のあなたって聞かれるけど、どっちがなくても成り立たなかった。本当にターニングポイントでした」

華やかでひたむきな雪妃真矢と、ダークでふてぶてしい雪妃魔矢。二つの顔を持った雪妃さんは、リングの上でも変わっていきました。

「ヒールは複数人で試合をすることが多いので、常に仲間や相手の動きを見て動かなきゃいけないんです。それで鍛えられて、周りが見えなくて必死だった状態から客観的にリングを観られるようになりました。なぜか緊張もしなくなって、その影響かケガもしなくなって、たくさん試合をこなすようになって、それからまともなプロレスラーっぽい動きができるようになりました」

DDTのリングに立った日

2021年9月28日 アイスリボン後楽園ホール大会「リボンの騎士たち2021」
インターナショナルリボンタッグ選手権試合
2度目の防衛に成功し、勝ち名乗りを受ける

この変化は劇的でした。ヒールデビューから1年半後の2017年10月、アイスリボン後楽園大会インターナショナル・リボンタッグ王座第42代王者決定トーナメントで勝利して初めて王者の称号を手にすると、その夜、OZアカデミー認定タッグ王座にも挑戦して勝利し、戴冠。1日でニつのチャンピオンベルトを獲得するという快挙を成し遂げたのです。

それから、雪妃さんはアイスリボンだけではなく、女子プロレス界のスターとして階段を駆け上がってきました。今年2月には、プロレスの虜になるきっかけとなったDDTのリングに初めて立ちました。DDTの女子選手と組み、フリーの女子選手ふたりとタッグマッチを行ったのです。この日に行われた試合で唯一の女子カードで、雪妃さんも特別な想いを抱いたといいます。

「DDTは男子プロレスのファンが多いので、受け入れられるか分からないっていう怖さはあったけど、ワクワクが止まりませんでしたね。アイスリボンの試合ではいろいろ考えるけど、この時はどれだけド派手にやって記憶に残すか、華やかな女子をみせるかっていう一発勝負だったから、全力で自分をアピールしようと思って。すごく楽しかったです」

仕事がつまらなくて、プロレスの試合を観ることがストレス発散だった銀行員時代の雪妃さんは、DDTのリングに立つ自分を1ミリ、いや、0.01ミリも想像できなかったでしょう。

2014年11月のデビューから7年。今もプロレスは楽しいですか?と尋ねると、雪妃さんはその日一番の笑顔で頷きました。

「楽しいです。自分が会社に勤めていた時は、土日にプロレスを観て元気をもらって、明日も頑張ろうって思ってたから。自分が戦う姿を観てひとりでもそう思ってくれる人がいたら、こんな素敵なことはないなって思いますね」

(文:川内イオ 写真:小池大介 写真提供:アイスリボン)

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稀人ハンター川内イオ
1979年、千葉生まれ。ジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、企画、イベントコーディネートなどを行う。世界に散らばる稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に伝えることで、「誰もが稀人になれる社会」の実現を目指す。
近著に『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦』(2019)、『1キロ100万円の塩をつくる 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人』(2020)。

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